斉藤立の父親は金メダリストの斉藤仁!中学時代に他界していた!!
男子柔道100kg超級の斉藤立選手が、パリオリンピックに内定しました。
斉藤立選手の父親は金メダリストの斉藤仁さんです。
斉藤仁さんは、斉藤立選手が中学時代に他界していたことがわかっています。
今回は、斉藤立選手の父親である斉藤仁さんについてご紹介します。
斉藤立のプロフィール
斉藤立選手のプロフィールをご紹介します。
- 名前:斉藤立(さいとうたつる)
- 生年月日:2002年3月8日
- 出身地:大阪府
- 身長:191cm
- 体重:170kg
- 階級:100kg超級
- 血液型:O型
- 得意技:大外刈、体落
斉藤立の父親は金メダリストの斉藤仁!
斉藤立選手の父親は金メダリストの斉藤仁さんです。
斉藤仁のプロフィール
斉藤仁さんのプロフィールをご紹介します。
- 名前:斉藤仁(さいとうひとし)
- 生年月日:1961年1月2日
- 出身地:青森県青森市
- 身長:180cm
- 階級:95kg級
2大会連続金メダリスト
斉藤仁さんは、1984年のロサンゼルスオリンピックと、1988年のソウルオリンピックで金メダルに輝き、2連覇を成し遂げています。
重量級選手では、日本人史上初の快挙です。
斉藤仁さんの試練
斉藤仁さんは、1984年に金メダルを獲ったあと、1985年に左肘脱臼という大ケガをしています。
また、1987年にも練習中に右膝の半月板を損傷しています。
群馬県の病院に入院してリハビリをしていましたが、最初の一週間は
もうええわ。俺(の柔道人生)は終わったわ
と投げやりになっていたそうです。
そんなある日、脳の障害で入院しているお年寄りが「斉藤さん、見てよ」とわずかに指を動かしました。
「頑張って、これだけ手が開くようになった。斉藤さんも諦めないでください」
と声をかけられ、斉藤仁さんはトンカチで頭を殴られたような衝撃を受けたそうです。
肘と膝が痛いだけなのに、俺は何と小さい男なのかと。彼らの生きようとする執念の前で、何と恥ずかしい姿をさらしていたのかと
引用:讀賣新聞オンライン
斉藤仁さんは、病院の食堂での一コマについても語っていました。
隣の患者さんがスプーンを落としてね。拾ってあげようとしたら、付き添いの方が「自分で拾わせてください。他人の手を借りずにやることが、生きている証なんです」と言うんだよ。柔道家にとって「生きている証」とは何か考えた。しびれるような緊張感を味わい、青畳の上で戦うことだよな。そう思ったら戻りたくて、たまらなくなったのよ
引用:讀賣新聞オンライン
こうして、斉藤仁さんは怪我を乗り越え、1988年に2度目の金メダルを獲得したのです。
けがをして、落ち込んで、大事なものを見つけて、立ち直って、報われて……。次の世代に伝えられることは、手に入れたような気がするなぁ
引用:讀賣新聞オンライン
と斉藤仁さんは振り返っていたそうです。
きっと、斉藤立選手にも、斉藤仁さんの経験は語り継がれたのでしょうね。
中学時代に他界していた‼︎
斉藤立選手の父親である斉藤仁さんは、斉藤立選手が中学時代に他界しています。
2015年1月20日午前2時56分、大阪府東大阪市の病院で肝内胆管がんに伴う、がん性胸膜炎で亡くなられました。
肝臓の内部を通っている胆管(肝内胆管)にできるがん。
肝臓の実質にできる肝細胞がん(一般的に肝臓がんと呼ばれる)とは異なる。
54歳という若さでした。
斉藤立選手が、中学1年生の冬のことでした。
闘病中にも指導
斉藤仁さんは、闘病中にも指導を続けていました。
2013年に肝内胆管がんが見つかってからも、周囲にはほとんど症状を知らせなかったそうです。
110kgあった体重が80kgまで激減しても、息子たちと向き合い続けていました。
斉藤立選手の母である斉藤三恵子さんは、夫と息子の稽古の様子を携帯電話で撮りつづけていたそうです。
たとえ夫がいなくなっても、映像を通して、夫といつでも会えるように。息子が壁にぶち当たったり、何かに悩んだときに、大切なことに気付けるように
引用:Number Web
今でも、その映像は三恵子さんのスマートフォンの中に大切に収められているそうです。
旭日章綬章
2015年2月17日、日本国政府は斉藤仁さんの没日に遡って、従五位に叙し旭日小綬章を追贈。
また、講道館からは、柔道界に対する功績を讃え、九段位に列せられました。
父の最後の言葉
斉藤仁さんが、子供たちにかけた最後の言葉は「稽古、行け」だったと、斉藤立選手の母親である斉藤三恵子さんが語っています。
看護師さんに「覚悟してください」と言われた日も、主人に「稽古休ませようか?」と聞いたんです。そしたら息子たちに「稽古、行け」と一言。結局、それが最後の言葉になってしまいました。
引用:Number Web
そして、薄れゆく意識の中、斉藤立さんと父親の約束が交わされたそうです。
私は覚えていないんですけど、耳は最後まで聞こえているよと伝えると、「絶対オリンピック選手になるから。俺、金メダル獲るから」と約束したみたいで
引用:
斉藤仁さんは、最期まで柔道家の父であり続けたのですね。
親子で柴田徳次郎賞を受賞
斉藤立選手は、国士舘大学の卒業式で、在学中の功績をたたえられ「柴田徳次郎賞」を受賞しています。
国士館大学創設者である柴田徳次郎先生の名前を冠した賞。
国士館創設の趣旨および建学の精神を永久に堅持し、昂揚する目的をもって、柴田徳次郎賞基金を創設し、この目的達成に抜群の成果をあげた学生に対し、授与するもの。
41年前、父親である斉藤仁さんも、同じ賞を受賞しています。
斉藤立選手は、国士舘大学の卒業式で、亡くなった斉藤仁さんのネクタイを締めていたそうです。
父の教え
斉藤立選手は、自身のインスタグラムで、斉藤仁さんのことが書かれた「柔の道」という本について投稿していました。
父の学生時代、現役時代、そして亡くなるまでが書かれています。
是非手にとって父の生き様を読んで欲しいです。
斉藤立選手が、父の教えで特に大切にしている言葉は「謙虚であれ」だそうです。
パリオリンピックに内定した斉藤立選手は、よりこの言葉を噛み締めているそうで
こんなところで思い上がっていても仕方ない。自分の一本を取る柔道、父のような柔道を五輪で見せたい
引用:スポニチ
と誓っています。
日本柔道界では初めてとなる、親子での日本代表。
亡き父への想いを胸に、斉藤立選手らしい柔道で金メダルに輝いてほしいですね。
まとめ
今回は、男子柔道の斉藤立選手の父親についてまとめました。
斉藤立選手の父親は、中学時代に他界した、金メダリストの斉藤仁さんです。
闘病生活の中でも、息子たちと向き合い、最期まで柔道家の父で在り続けた斉藤仁さん。
斉藤立選手がパリオリンピックで優勝し、親子で金メダリストとなるのでしょうか。
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