若新雄純の経歴は?学生時代から起業家として活躍!最近では僧侶になっていた!?
わかしんの愛称で親しまれている、若新雄純さん。
テレビコメンテーターや大学教授としても活動していることで有名です。
そんな若新雄純さんは、なんと学生時代から起業している実業家です。
今回の記事では、若新雄純さんの経歴についてご紹介します。
ぜひ最後までご覧ください。
若新雄純のプロフィール
若新雄純さんのプロフィールをご紹介します。
- 名前:若新雄純
- 愛称:わかしん
- 出身地:福井県
- 生年月日:非公表
- 職業:元タレント、実業家、株式会社NEWYOUTH代表取締役、慶應義塾大学特任准教授などを兼任
若新雄純の経歴は?
若新雄純さんの経歴について詳しく見ていきましょう。
実業家として、若い時から活躍しています。
2005年:大学在学中に起業!?
若新雄純さんは、大学在学中に大学の先輩と共同で株式会社LITALICO(設立時社名:イデアルキャリア)を創業して取締役COOに就任しました。
LITALICOは、障がいを持った方の就職支援をしている会社として有名ですね。
しかし、拡大する組織に適応できず1年7か月で取締役を退任してしまいます。
毎日終電の生活だった
最初の頃はとても大変で、毎日終電だったそうです。
仕事をくれると聞けば夜行バスで日本中どこにでも行ったのだとか。
自分の個性や才能を発揮できているという実感が幸せだったとも語っています。
人を見抜く力は抜群だった
取締役退任後は、友人を会社に紹介したそうです。
当時のボクが知る限りもっともデキるやつだと確信していたイチオシの友達を、辞めたばかりの会社に紹介しました。すると、しばらくして佐藤氏の後をつぎ若くして社長になり、見事、会社を上場させました。
若新雄純さんの友人がLITALICOを上場させたのですね。
「特に自分にはない能力や才能をもった人には敏感でした」とも語っていました。
2009年:独立
慶應義塾大学大学院修士課程で産業・組織心理学やコミュニケーション論を学んだ後に、自由業として独立しています。
新宿の歌舞伎町でダイニング・バーを約3年間経営していたそうです。
この経験がこの後の様々な企画やプロデュース活動につながっているようです。
2012年:改名する
2012年に自身の名前を改名しています。
「若新」という苗字は本名だそうですが、名前の「雄純」は自分で改名したそうです。
雄純という名前は、大学院生くらいのときから通称として使い始めていたそうです。
改名した経緯は?
改名した経緯は以下の通りです。
- ファミレスで友達と食事しながら、「名前を変えようと思うんだけど」と言って、ノートにいろいろ書き出した
- 珍しい「若新」という名字はかなり気に入っていたため、それに馴染むような名前にしたかった
- 両親の名前の漢字などもいろいろアレンジして「雄純」としてみたらなぜかものすごくしっくりきた
その場のインスピレーションで決めたそうですよ。
なぜ改名した?
若新雄純さんが改名した理由は、名前があまりに常識的でまともだったからだと語っています。
「与えられた」ものだということに、釈然としないものがあったのだと思います。
もちろん、僕たちはそもそも、すべて与えられて生まれてきます。命も、肉体も、時代も、何もかも。一人の人間の始まりは、極めて受動的です。そして尊い。
だからせめて、自分を社会的に象徴する「名前」くらいは、自分の変化や成長に合わせて、納得いくように考えてみたかった。
そして、自分を「ひらかれた」存在にしたかった。
この思いは、学生時代に起業した時から感じていたそうです。
2012年:新しい働き方や組織づくりプロジェクトに携わる
2012年からは新しい働き方や組織づくりに携わっています。
携わった事業の概要をご紹介します。
- 全員がニートで取締役
- メンバーは、全国から集まったニート166人
- 全員が取締役なので誰からも雇用されない
- 成果に応じた報酬はあるものの基本給はなし
- 自分たちがやりたいことを仕事にしながら、あくまで“ニートらしく”働くことをモットーに掲げている。
大学生や若者の持つ就職活動への疑問や違和感をもとに、試験的にスタートしたサービスです。
自意識過剰で自分しか見えない若者のための、マイナーでマニアックな就職サービス
新卒の学生から25歳までの若者を対象に、週3日勤務で月給15万円の派遣や契約社員等の仕事をマッチングする就職サービス。
新たな発想で若者の就職を応援するサービスに、たくさん携わっていますね。
2014年:まちづくり事業に携わる
2014年4月14日に、女子高生が主体となるまちづくりプロジェクト「鯖江市役所JK課」を福井県の市役所内に設立します。
このプロジェクトは、女子高生たちに悩みや疑問・要望を自由に口にしてもらい、問題提起の機会を“委ねる”試みだったそうです。
そのことに大人たちが「素直に耳を傾ける」ということが何より重要だと語っていました。
その他にも、同じく鯖江市に以下の事業を手掛けました。
- 鯖江市の体験移住事業「ゆるい移住」プロジェクト
- 愛知県豊橋市の「豊橋市役所JK広報室」
- 富山県南砺市の地元高校生のやりたいことに1,000万円を託すプロジェクト
2014年4月〜2024年3月:大学教授として活躍
2014年4月からは、大学教授としても活躍しています。
●慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科
- 2014年4月〜:特任助教
- 2016年4月〜:特任講師
- 2017年4月〜:特任准教授
●福井大学
2015年4月〜:産学官連携本部客員准教授
2021年:「究極のわかさ日の丸ごはん」プロジェクトを企画
2021年からは、出身地の若狭町が誇る食材を用いた「究極のわかさ日の丸ごはん」プロジェクトを企画プロデュースしています。
このプロジェクトにあたっては、以下のコメントを残しています。
僕は18歳まで若狭町で育ちました。
きれいな水や空気、豊かな食材の味や香りなど素晴らしいものばかりでしたが、どれも値札や値段のついていない「あたりまえ」のものでした。
今僕がくらしている都会では、価値があるものには必ず値段がついています。
地方のまちに眠る価値のある食や文化に、立派な値段をつけて都会の真ん中から広めたい。
そんな想いでこのプロジェクトを企画しました。
故郷に対する想いに溢れていますね。
2022年:僧籍を取得
2022年には、浄土真宗(真宗山元派)の本山證誠寺にて得度し、僧籍を取得しました。
法名は「釈諦純」というそうです。
常にアグレッシブにさまざまなことにチャレンジしていますね。
まとめ
今回の記事では、若新雄純さんの経歴をご紹介しました。
学生時代から起業し、その後もまちづくりのプロジェクトや就職支援などさまざまな事業を設立していました。
常に新しい物事を生み出し続ける若新雄純さんのエネルギーがとてもすごいですね。