伊藤英明の佐藤秀峰のサインは本物?海猿原案者の小森陽一と勘違いしていた!?
海猿原作者の佐藤秀峰さんが自身のnoteに投稿した内藤が話題になっています。
この内容に関して、俳優の伊藤英明さんが自身のインスタ佐藤秀峰さんから直接もらったサインの写真を投稿しています。
このサインの写真について、佐藤秀峰さんが「伊藤さんが会ったという『佐藤先生』とは、一体誰だったのでしょうか」という疑問の声も投稿しており、波紋を呼んでいます。
今回の記事では、伊藤英明さんが佐藤秀峰さんからもらったサインは本物なのかについて調査しました。
佐藤秀峰さんがnoteに投稿した内容とともにお届けします。
ぜひ最後までご覧ください。
佐藤秀峰のnoteの投稿内容は?
佐藤秀峰さんのnoteでは、冒頭で芦原妃名子先生の訃報について触れていました。
その上で、漫画を原作とした映像化のトラブルについて、自身の作品「海猿」で2912年10月にフジテレビと絶縁し、映画4作目以降は二次使用禁止とした出来事を回想しています。
海猿の現場で起こった出来事について予約すると以下の通りです。
- 海猿では、映像関係者に一人も会わなかった
- 海猿の脚本も見たことが見たことがなかった
- 映画の内容は漫画で描きたかったこととは全く違った
- 当時は、自分を殺して映像に一切文句を言わない漫画家となっていた
- 漫画家は蚊帳の外で、テレビ局と出版社の間で話し合いが行われ、事が進んでいく
- 映画公開第2弾で海猿の原作者が現れて「映画次回作の脚本はオレが書く」と言い出した
- 「海猿」の原作者を名乗る人物が何人かいた(取材に協力したり、語ったエピソードが漫画にちょっとでも登場すると自分が原作者だと思い込んでしまう)
- 上記踏まえて、初めて原作者の権利を行使し、続編の映像化を許諾しなかった
- 映画の撮影現場を見にいった際に、主演俳優に「原作者?しゃべんなきゃダメ!?」と言われた
- テレビ局にアポなし取材を受けた
- 関連本を無断で出版された
これらを踏まえて、契約更新をしないという判断をくだしたそうです。
当時は、たくさんの批判を受けたと振り返っています。
伊藤英明が反応
この投稿に対して、伊藤英明さんが自身のインスタグラムで20年ほど前に佐藤秀峰さんからもらったというサインをインスタに投稿しました。
20年前に佐藤秀峰さんが現場に出向いた際にいただいた原画ということです。
しかし、このコメントに対して佐藤秀峰さんが以下の疑問を投げています。
「ところで、イラストに書かれた日付を見ると2005年となっています。僕が撮影現場を訪れたのは2012年(もしくは2011年?)の一度きりです。2005年に伊藤さんが会ったという『佐藤先生』とは、一体誰だったのでしょうか」
佐藤秀峰さんが撮影現場を訪れたのは2011年か2012年の1度きりだったとのこと。
ここで、伊藤英明さんの持っているサインに記載されている「2005.夏」という日で日付とズレが生じています。
伊藤英明の投稿にネット上で上がっている疑問の声は?
ネット上では、「伊藤英明さんがもらったサインは本当に佐藤秀峰さんが書いたものなのか」という疑問が上がっています。
さらに「伊藤英明さんは本当に佐藤秀峰さんに会ったのか」「実際に会った自分物は誰なの?」という疑問も上がっていました。
佐藤秀峰さんのnoteでは、
- 映画公開第2弾で海猿の原作者が現れて「映画次回作の脚本はオレが書く」と言い出した
- 「海猿」の原作者を名乗る人物が何人かいた(取材に協力したり、語ったエピソードが漫画にちょっとでも登場すると自分が原作者だと思い込んでしまう)
という記載がありましたよね。
「原作者を名乗る人物とは誰なのか」という部分も疑問が残ります。
- 伊藤英明さんがもらったサインは本物なのか
- 海猿の原作者を名乗った人物は誰なのか
上記2つの疑問について詳しく見ていきたいと思います。
伊藤英明の佐藤秀峰のサインは本物?
伊東秀明さんがもらったサインと、実際の佐藤秀峰さんのサインを見比べてみましょう。
こちらは、ブラックジャックの佐藤秀峰さんのサイン画像です。
サインの部分を比べてみます。
見比べてみると、ほとんど変わらないように見えますよね。
ネット上では、以下のような声が上がっていました。
2005年7月からテレビドラマの海猿が始まっているので、たぶんその際、渡したものだろう。9月までやっていたので、スタート直後に佐藤さんがみて、この漫画を描いて渡した感じかな。コメントから判断すると。佐藤さんが現場に行ってなければ、誰かに託したってことだろうね。
色紙を受け取ったのは2005年だけど、会ったのは数年後なのでしょうね。
伊藤さんの思い違いではないのかな。
伊藤さんは2005年に色紙をもらってお喋りしたと思い込んでるけど、実は手渡してきたのは小学館や担当の人であって、勘違いしてるのかも。
確かに、伊藤英明さんが色紙を受け取った時期と実際に会った時期を勘違いしている可能性もありそうですね。
もしくは、佐藤秀峰さんが誰かに託したということもあるかもしれません。
そう考えると、このサインは本物である可能性は高いと思われます。
佐藤秀峰さんもサインについて偽物だという発言もしていません。
伊藤英明は海猿原案者の小森陽一と勘違いしていた!?
ここでもう一つの疑問である「海猿の原作者を名乗った人物は誰なのか」についてもみていきたいと思います。
実は、2008年12月1日のシネマトゥデイの『252 生存者あり』伊藤英明単独インタビューの記事で以下のような記述がありました。
『海猿 ウミザル』の原案者でもある小森陽一さんが、『LIMIT OF LOVE 海猿』の撮影現場にいらしたとき、お土産として原稿用紙10枚ほどの『252 生存者あり』のプロットを書いて持って来てくれました。
引用:シネマトゥデイ
ということは、2005年に伊藤英明さんは、原案者の小森陽一さんに会っていたことになりますね。
おそらく、原作者の佐藤秀峰さんと小森陽一さんを勘違いしていたのではないでしょうか。
ネット上でも、以下のようなコメントがありました。
伊藤英明氏は2005年に海猿原案者の小森氏に会っていた模様。
その際にこの原画サインをもらったと思われる。
なぜ小森氏が佐藤氏の原画サインを持っていて渡したのかは謎だが
編集者も同行していた可能性が高く、伊藤氏が小森氏を佐藤氏と誤認したのかと。
確かに編集者の方も同行していた可能性もありますよね。
佐藤秀峰さんのサインは、小森陽一さんや編集者の方の手を介して届けられたものなのかもしれません。
まとめ
今回の記事では、伊藤英明さんが佐藤秀峰さんからもらったサインは本物なのかについて調査しました。
サイン自体は、佐藤秀峰さんが書いた別のサインと比べてもほぼ同じですし、佐藤秀峰さんもサインについて偽物だという発言もしていないため、本物である可能性が高そうです。
さらに、2005年には伊藤英明さんが海猿原案者の小森陽一さんと会っています。
その時にサインを手渡されたのだとすると、小森陽一さんと佐藤秀峰さんを勘違いした可能性もありそうですね。
芦原妃名子は結婚して子供がいる?
➡️旦那は心療内科医!?
新條まゆが告発した知人漫画家は誰?
➡️3つの理由で東毅で確定!?